「戦後71年・沖縄が抱える課題と向き合って ~一産業人の立場から~ 」公開講義を、福大L棟4番教室で聴講
2012年6月から沖縄県商工連合会会長を務め、現在は沖縄県知事の政策参与の照屋義実氏(大19回卒)が、今回、母校の福島大学での公開講義にゲスト・スピーカーとして登場。テーマは、「戦後71年・沖縄が抱える課題と向き合って ~一産業人の立場から~ 」で、同窓会の参加呼びかけもいただき、10月6日に福大L棟4番教室で聴講してきました。
照屋氏は沖縄復帰前の1967年、当時の文部省の配置留学生として、福島大学経済学部に入学。「今の私の基礎を作ったのは大学での4年間」といいます。当時、部長も務めた柔道部の話から、「冬は信夫寮で、口をあけ、夜空から雪が落ちてくるのを待っていた」という若者らしいロマンチックな話まで披露。そして、1971年3月には福大を卒業し、1973年、「祖国復帰(沖縄返還)」後の沖縄に帰り、家業の建設会社を継ぎます。教育委員長になった2001年に、米兵による女子高校生への暴行事件が起きると海兵隊の最高責任者に抗議。10万3千人の沖縄県民が結集したオスプレイの普天間基地配備反対県民会議では、「産業界の大先輩から推されて」共同代表となりました。
今回の照屋氏の講義は、福島大学経済学部の信陵同窓会が橋渡しをし、「政治経済学入門」の授業でのゲスト・スピーカーを務めることになりました。卒業生で作る福島信陵会の事務局の呼びかけで、現役学生に混じりOBも多数聴講しました。
「~♪今日の世紀に生きる喜びに、憎しみも忘れ 悩みも突き抜け ~ われらは人間 われらは学生 愛と真理に 強く生きよう~♪」
大学に入った時、愛唱歌「学生歌」に感動したと語る照屋氏の姿を、今の氏の生きざまと重ね合わせた時、聴講した学生のみなさんにはどのように映ったのか聞きたい気がしました。
最後に、照屋氏が福大を卒業したこの1971年の11月には、、図らずも東京電力福島原発1号機が稼働しています。照屋氏はスタートが重なった(国策としての米軍基地問題を抱える)沖縄と、(国策としての原発の事故からの復興を目指す)福島の懸け橋になれたらと希望を述べられました。
思考に刺さった小骨のごとく、約90分間の聴講で投げかけられた照屋氏のみならず沖縄県民が抱いている疑問、「帰るべき祖国は今の日本だったのか?」が、気になっています。確かに、戦後に抱いた理想から(私は生まれていませんでしたが…)、時間と共にどんどん遠ざかっていく日本の在り様をどう捉え直すべきか、点検を迫られている気がしました。そして、戦後71年の平和さえもが、いかに多くの犠牲の上に成り立ってきたかを、考える機会をいただきました。