李平(すももだいら)地区の道路補修と、旧米沢街道石畳の保守活動に同行

DSCF0058DSCF0038DSCF00396月16日(木)、吾妻地区郷土史談会(近野元洋会長)の会員約30名により、李平にある旧米沢街道石畳の草刈りなどの保守活動が行われました。

李平宿場は、慶弔18年(西暦1618年)に開かれたといわれ、初めは庭坂宿と板谷宿の中継の宿場として52戸ほどの町並みで、峠を越える山中の宿場として重要でした。現在は、雑木林の中にの軒石や石垣、道端には供養塔群や不動尊、江戸時代からの名残を残す石畳などが残されています。かって、上杉鷹山やその師である細井平洲が通った古道です。

昨年秋の「まぼろしの李平宿を歩く」に参加した折、途中の道路が雨水により土砂が流されてクルマの通行にも支障をきたすほどの荒れた状態でした。特に、阿部薩摩供養塔付近の道は、大きな石でクルマのオイルパンを擦るほどでした。

昨年10月、関係者に相談する中で、平成27年度台風18号大雨災害復旧で唯一残っていた「(李平を走る)林道高津森線の路面洗掘復旧工事」の工事車両が通るため、途中の道路の危険個所を補修することになり、前記の阿部薩摩供養塔付近の道は砂利を敷くなどして修復されました。今回は、写真(中)の李平不動尊の先まで、スムーズにクルマで行けるようになりました。

しかし、林道から分かれた石畳保存地手前の「座頭ころがし」付近の旧道(写真下)は、崩れてきた大きな石と中央部分の土砂が雨水で流されていて、歩くのも大変です。このまま放置し続けると路肩が崩れて谷側に落ちてしまうのではと心配です。十数メートルの限られた区間ですので、関係者のみなさんの力を合わせて貴重な歴史遺産の古道を復旧しなければなりません。