福島市議会の「原発現地調査実行委員会」による東京電力福島第一原子力発電所の視察に参加!
平成29年4月18日㈫、福島市議会の「原発現地調査実行委員会」による東京電力福島第一原子力発電所の視察に参加してきました。
午前10時20分市役所を大型バスで出発し、国道115号経由常磐自動車道の常磐富岡ICで下り、会場の東京電力の旧エネルギー館までの約2時間は、車中で弁当を食べながらも、線量計の動きや景色の変化に注意しながらの道中でした。原町トンネルを抜けると、耕している田畑がポツリポツリと点在している状況に変化。やがて規模の大きな仮置き場が広がり、0.6μシーベルトの表示板、さらに進むと荒れ放題の景色の中に野生化した(?)和牛の群れが飛び込んできたかと思いきや、屋外の表示板は3.3μシーベルトになりました。
常磐富岡ICを下り、ノンストップで走り抜けることができる国道6号線を、富岡から大熊町に向かいました。中間貯蔵施設へ向かう除染廃棄物運搬車両とすれ違うことしきりです。バスの窓から見える沿線の家電量販店、ホームセンター、コンビニ、飲食店、デーラーなどの店舗が、震災当時のままの状態で荒れ果てていました。ショーウィンドウのガラスは割れたまま、屋外に展示されていたらしいホームセンターの商品もそのまま。時が止まった状態です。
国道6号線沿いにある東京電力の旧エネルギー館に着き、まず、福島復興本社の代表・石崎芳行氏のあいさつがあり、続いて「2011年3月11日における津波の状況と設備の被害状況」について、当時の動画も交えながら説明がありました。
特に、石崎代表は6月末で退任することにふれ、「今後も全力を出して責任を果たしていく。復興のため、生ある限り、全力を尽くしてまいります」と力を込められました。
この後、東電「1F移動用バス」で、いよいよ原発事故現場の入り口に建つ「新事務本館」へ。入退域管理棟で一人ひとり入念なセキュリティチェックを受け、一時立ち入り許可証と綿手袋、線量計を貸与されました。
いよいよ「東電1F構内用バス」に乗り込み、現地視察です。乗り換えで3台目となる今度のバスは異様でした。シートはビニールで覆われ、床もピンクのビニール張、黒のガムテープで無造作にベタベタ貼られていました。原発事故発災以来そのままらしき、過酷事故現場の厳しさを物語っている異様な内装です。
構内では以前1000本あったという桜の木は、事故処理のため300本に切られ、この日は花が散り若葉の季節でした。水素爆発事故のあった1・2・3号機には、7,80メートルまで近づき視察。担当者がバスの中から、可動式の大型の線量計を原子炉に向けつつ線量を看視しつつの移動でした。4号機では、すぐそばまで下りていき視察しました。この他、施設内を案内していただき、津波で傾いたり、雑巾を絞るように捻じ曲げられた重油タンク、事故当時に吉田元所長らが事故対応にあたられた免震重要棟などをみることができました。
終了後、洗浄機(?)に入りチリやホコリなどを取り除き、安全を確認して、最初の旧エネルギー館に戻り、質疑応答となりました。参加した議員からの質問に対して、「今後、行政には30分以内に連絡、マスコミには60分以内に連絡します」、「チェリノブイリ発電所事故と違い、石棺方式でなく、デブリを取り出す方針でずっとまいります」、「燃料デブリはリスク上、取り除く方針で調査研究します。しかし、デブリをどう処理するかはまだ国も決まってない状況です」などの答弁がなされました。
視察を終えて感じたことは、いろいろな「もし」が悔やまれます。「約30メートルの高台を10メートルに削り原子炉建屋とタービン建屋を設置しなければ……」。国内外で原発事故のたび感ずる不安感に、そもそもエネルギー政策における人類史的な視点でのとらえ方が必要との思いを強くしました。原子力に限らず、研究上の実験とは異なり、ビジネスベースでの量産化をしていくならば、技術者がコントロールできる領域内での開発であらねばならないし、それを無視すれば時として人類の生存さえ脅かしかねないことを再認識しました。
〈おことわり〉今回の視察では、説明会場の東京電力の旧エネルギー館内以外の写真撮影はセキュリティ上の問題で撮影が許可されず、同行した東京電力のスタッフの方が撮影したものを、セキュリティチェック後、後日、送っていただいたものです。お借りしました。