「ふる里を知る~江戸時代の郷土~」の講演会を聴講

115日㈯、吾妻学習センター研修室で「ふる里を知る~江戸時代の郷土~」の講演会を聴講しました。吾妻地区郷土史談会の近野会長、吾妻学習センターの田村館長のあいさつの後、本題の講師の福島市史編纂室の守谷早苗先生の話と続きました。

まず、信達一円支配として米沢藩➔幕府領➔福島藩➔幕府領と続くが、1683年の栁川藩三万石の成立で信達分割時代になり、文化7年(1810年)には、幕領・福島藩はじめ11の分割支配になる。これは伊達と上杉とが結びつかせぬための幕府の戦略だったといいます。そして、福島県域を関東の防波堤の役割を担わせたと解説。

dscf2721写真は、資料にあった「吾妻地区の村々の支配の変遷表」です。「作るのは大変でしたが、作ってみると面白い」と守谷先生は笑われました。それぞれの地区にお住まいの方には、興味を引かれるものと思います。

この表で明らかですが、幕府領・新発田藩の分割支配で明治を迎えます。明治22年の大合併では、「学校・道路建設の必要性」から1300戸を基本に合併し、この時の吾妻地区は11村でした。その後、昭和の大合併と続き、昭和43年の福島市との合併となったということです。最後に、守谷先生から、ひと言ありました。「土地区画整理事業で昔の字名が消えていっているが、字名は土地土地の歴史。昔の字名を残す作業をしてほしい。また、石碑の読み方もぜひ残してほしいものです」。これからの街づくりにおいても、大事な視点です。