吾妻地区郷土史談会が福島市教育委員会へ「要望書」を届けられました。後日、本間稔教育長に説明並びに地域から出ているお願いを伝えてまいりました。

1月22日㈫、福島市吾妻地区郷土史談会(「史談会」)の近野元洋会長(写真2中央)と庶務の鈴木康郎氏(写真2左)が、福島市教育委員会へ「要望書」を届けられました。

内容は、「李平宿跡と街道石畳は交通・政治・軍事・経済の観点での近世の福島という土地の立ち位置を示す重要な史跡であると考えます。市としてもその価値をご認識いただき、これ以上の荒廃を防ぎ、その姿を後世に伝えるためにも、市として李平宿から街道石畳の部分の調査をおこなったうえで、福島市指定文化財として指定いただきたく要望いたします(『要望書』から)」。

この背景には、昭和63年から宿場跡と街道石畳周辺の草の刈り払いと保全作業を行ってきた史談会としての危機意識があります。「険しい山中でもあり、雨水等による崩落や道を土砂が覆ってくるなどがあり、かつての石畳の街道も山林に復そうとしています。中世から近世にかけての福島と米沢とを結ぶ大動脈として栄え、上杉鷹山やその師である細井平洲、また高野長英など多くの歴的人物が通った街道がこのまま朽ち果てることは、本市の歴史を刻んだ歴史的遺産を失うことであり、その損失は避けなければならないと思われます」(同上)。

私も昨年9月定例会の一般質問において、「史談会の呼びかけによる旧米沢街道李平宿及び街道石畳刈り払い、保全作業に同行させていただき、2時間弱の作業できれいに石畳が現れて感動するとともに、途中、沢の近くの崖崩れや雨水でえぐられた部分、山の上から転がり落ちてきた大きな石が道を塞いでいるところ、街道が寸断されているところ(写真下)など、厳しい自然の浸食にさらされているところも見受けられ、50年、100年先の人たちへ郷土の歴史遺産のバトンを渡すことを考えた時、これ以上の状況の悪化は避けねばなりません」と訴え、公的な保護の必要性を述べさせていただきました。

1月22日当日は、緊急会議と文教福祉常任委員会の開催の合間を縫って、史談会の皆さんが「要望書」を手渡す写真を撮影させていただくのが精一杯でした。そこで、改めて2月4日㈪午後に、本間稔教育長に時間を取っていただき、40分ほど今回の要望書について、説明並びに地域から出ているお願いを伝えてまいりました。途中から、齋藤義弘教育部次長も加わり、米沢街道、李平の石畳をめぐる歴史談義に花が咲きました。地域も行政も議員も、今かかわっている皆さんが力を合わせて、郷土の歴史遺産を後世に引き継ぐために協力し合えればと切に願っております。