私は、ミシンです。 20年前は、一世を風靡した電子ミシンとして、この家に奉公に来ました。

私は、ミシンです。
20年前は、一世を風靡した電子ミシンとして、この家に奉公に来ました。黄金時代は、3人の子供たちの通園バックに体操着袋、ズック靴入れとお母さんと2人3脚の大活躍でした。遠い昔の自慢話です。
しばらく経つと、2階の狭い書斎の片隅で、出番を待つ長い日々が続きました。
2020年4月のある日。突然目を覚まされ、お母さんと末娘がペアを組んで手作りマスクを作り始めました。でも、突然過ぎて、ドクターストップ。3日間、20年ぶりにミシン屋さんに里帰りして、修理をしていただきました。
「針棒固定・高さ調整・糸案内固定で5,500円」と、お母さんには思わぬ出費をかけさせてしまいました。
そしたら、今度はですよ。戦線復帰を待ち構えていたのは、JA未来女性部福島地区からの「小・中学校マスク手作り3000枚プロジェクト」でした。市教育委員会の要請に応えての女性部のみなさんのひと踏ん張りです。
生憎、今は、庭坂地区は地元特産のナシの花粉交配の真っ盛りで、みなさん総出で畑に繰り出して頑張っています。土・日曜日パート休みのお母さんにも出番というか、「手作りマスク10枚以上協力を!」のラインが回ってきました。
私、ミシンとしても、晴れ舞台に立った感じです。近所の雑貨屋さんに替えの白いミシン糸が注文できてほっとしながら、市内の小・中学生のために頑張っているところです。