過日、出張の折、北海道新幹線の中で久々の読書。昨年の秋、上杉鷹山の師、細井平洲の生誕の地である東海市を訪れて興味を持ち取り寄せてみたものの、“積ん読”まま半年が経過。今回、函館までの車中が長いこともあり、旅の友として選んだ。命、途絶えるまで長きにわたる、平洲と鷹山の師弟愛に感動した。平洲の「民の父母思想」は、19歳の青年藩主だった鷹山ばかりか、その著『嚶鳴館遺草』は幕末の吉田松陰の座右になり、沖永良部島に流されていた西郷隆盛を感動させ「敬天愛人」の思想を生む。明治期、内村鑑三が英文の『代表的日本人』において、鷹山の訓戒書「伝国之辞」を紹介するが(これは平洲の教えの核心ともいえるものだが)、20世紀、これを目にしたジョン・F・ケネディが上杉鷹山に注目する。童門氏によると、「土地も人民も、国に属しているもので、私有物ではない。また、藩主というのはその土地と住民のために存在するものであって、土地や住民が大名のために存在しているわけではない」となる。この民主的な政治思想は、時代を越え、海を越えた。

過日、出張の折、北海道新幹線の中で久々の読書。

昨年の秋、上杉鷹山の師、細井平洲の生誕の地である東海市を訪れて興味を持ち取り寄せてみたものの、“積ん読”まま半年が経過。今回、函館までの車中が長いこともあり、旅の友として選んだ。命、途絶えるまで長きにわたる、平洲と鷹山の師弟愛に感動した。

平洲の「民の父母思想」は、19歳の青年藩主だった鷹山ばかりか、その著『嚶鳴館遺草』は幕末の吉田松陰の座右になり、沖永良部島に流されていた西郷隆盛を感動させ「敬天愛人」の思想を生む。

明治期、内村鑑三が英文の『代表的日本人』において、鷹山の訓戒書「伝国之辞」を紹介するが(これは平洲の教えの核心ともいえるものだが)、20世紀、これを目にしたジョン・F・ケネディが上杉鷹山に注目する。

童門氏によると、「土地も人民も、国に属しているもので、私有物ではない。また、藩主というのはその土地と住民のために存在するものであって、土地や住民が大名のために存在しているわけではない」となる。この民主的な政治思想は、時代を越え、海を越えた。