時代は江戸、寛政8年(1796年)9月6日。上杉鷹山46歳、その師、細井平洲69歳。平洲が二度目に米沢を訪れてから16年が経っていました。「死ぬ前に、もう一度米沢の地を見てみたい」。三度目の米沢下向に際して、鷹山公自ら城外一里余りの関根村の羽黒堂まで出向いて恩師を迎え、近くの普門院に自ら案内して丁重に労をねぎらいました。この時の感動的光景が、普門院境内にある「一字一涙」の碑文(写真)になって残されています。これは、平洲が九州久留米の弟子に宛てた手紙の一節で、老師の平洲が鷹山公との感動的出会いの様子を綴ったものを、大正4年に地元の南置賜郡教育会が一字一涙之碑として建立しました。11月15日、所用で米沢を訪れた帰り道、念願だった関根の普門院に立ち寄ることができました。晩秋の雨上がり、紅葉が出迎えてくれました。

時代は江戸、寛政8年(1796年)9月6日。上杉鷹山46歳、その師、細井平洲69歳。

平洲が二度目に米沢を訪れてから16年が経っていました。「死ぬ前に、もう一度米沢の地を見てみたい」。

三度目の米沢下向に際して、鷹山公自ら城外一里余りの関根村の羽黒堂まで出向いて恩師を迎え、近くの普門院に自ら案内して丁重に労をねぎらいました。この時の感動的光景が、普門院境内にある「一字一涙」の碑文(写真)になって残されています。これは、平洲が九州久留米の弟子に宛てた手紙の一節で、老師の平洲が鷹山公との感動的出会いの様子を綴ったものを、大正4年に地元の南置賜郡教育会が一字一涙之碑として建立しました。

11月15日、所用で米沢を訪れた帰り道、念願だった関根の普門院に立ち寄ることができました。晩秋の雨上がり、紅葉が出迎えてくれました。