「失われた20年」の可視化が、これほどスッキリされてしまうとは、気持ちいいの一言。若者に希望を与えるこれからの日本を考える時、示唆に富む1冊です。
土曜の夜、熊坂義裕著『駆けてきた手紙』で紹介されていた前田正子氏『無子高齢化(出生数ゼロの恐怖)』(岩波書店)をやっと読み切りました。中々ページが進まず、それが第3章「少子化対策失敗の歴史」から一気に引き込まれました。まさしく「失われた20年」の可視化が、これほどスッキリされてしまうとは、気持ちいいの一言。若者に希望を与えるこれからの日本を考える時、示唆に富む1冊です。
後半の常見陽平氏との対談の一節ですが、「『失われた20年』というのは、結局若者を犠牲にして企業が生き延びた時代でした。その犠牲によって何が実現したかと言えば、日本人が必死で働いて貧乏になった20年、少子化がさらに進んで日本の将来が危うくなった20年ですね」。
日本の不運、失われた20年。それは日本が経済的な勢いを失ったというだけでなく、目先を乗り切るために労働力の非正規化を進めて若者を犠牲にした20年だった。若者の雇用の安定を脅かし、未婚率を上昇させて少子化を一層促進し、日本社会の持続可能性の土台を崩した20年でもあった。若者の未来を奪うことは、社会の未来も奪うことだったのだ。
一方で、いま、日本の少子高齢化がすさまじい勢いで進んでいる。これを支える15歳から65歳までの現役人口が大幅に減少する中で、最も有効な高齢化対策の一つは少子化対策だと指摘する。
「高齢者の福祉を保証するためにも、次世代が育つことが必要である。」「若い親たちが安心して子供を産み育てることができるような環境整備が必要であること。」さらに、若者への就労支援と貧困対策こそ少子化対策であり、将来の人的資源への投資である。そして、未来の日本を確実なものにする成長戦略と語る。
しかし、現実の政治が、政策が力強さを欠く。
「今の大人たちで覚悟を決め、次世代育成に思い切った投資をしなければ、『無子高齢化』の悪夢がほんとうに現実になってしまうと思います」
〔岩波書店 定価(本体1700円+税)〕